現国の授業、しびれました。あの人よっぽど気合入ってるね。だからぼくも頑張るって感じで、生まれて初めて現国の文章の解析をしました。ボールペン3色使って。

現国の評論文にポストモダン、とりわけ科学批判が多いのは何故か?
例えば、誰かが何か評論的内容の文章を書けと言われる。その人が特に疑問に思うことが無い限り、ネタ探しに走る。別にそうでなくてもいい、書けと言われなくても何かふと疑問に思うことが有る。そう言うときに見つかるネタが現代批判であることはかなり高い確率でいえるとぼくは考える。所謂「今の若いモノは」系統の、どの時代にもほぼ普遍的に存在する年長からの現代批判と全く同じ原理が働き、昔を美化する。その過程で叩かれるのがまぎれも無い今であり、科学なのではないか?
逆に言えば*2、この手の文章には少し無からずも筆者の経験則、極めて個人的見解が、さも当然のように、かつカモフラージュされながら批判の根拠として提示されている。つまり、他の評論に比べこの種の文章は基本的に展開が辛くなれば逃げる事か可能で極めて書きやすく、量産され溢れ返るわけだ。
でも今日の文章は説得力あったな〜。

*1:あ、何の根拠も無い展開してましたね。

*2:逆でも何でもないですよ