遊歩道オッサン

夏休みの終わりごろから通学路が工事中で狭くなっており、混雑を避けるため通学ラッシュ時には歩行者は遊歩道を歩かなければならないようだ。そこで遊歩道の入り口に立って「遊歩道通ってくださいねー」と言う、とういか訴えかけるオッサンがいる。朝の遅刻寸前の学生にそんなことを言われても、というか訴えかけられてもどうしようもないので半数近くは無視していくんだけど、人がたくさんいるならともかく、いい感じに遅刻したとき、1人で歩いていくときは少し良心の呵責を覚える。
「遊歩道通ってくださいねー(なんでワシの言うことロクに聞いてくれへんのやろ。もうほんまなきそうやわ(涙))」
というか1人で歩いててわざわざ遊歩道に迂回する必要ないんだけど、オッサン。と思いながらも通り過ぎる。友達はそれを諭そうとしたいらしいが、オッサンはこれでいいのだ。これこそがぼくたちの心の中でオッサンが存在するために必要な行為であり、逆にこれがなけれはオッサンは死んだも同然となる。
そう思っていた矢先、今日のことだった。オッサンは無言なった、、、。唯一のアイデンティティ、それが失われた。アイデンティティの喪失、つまり、、、
今日、遊歩道オッサンは死んだのだ*1

*1:だいぶ違う