結局やってしまったしだいでした。

しゃべってるような感じで文章が書ける人がうらやましい。
XXだと思うんだけど
XXやんね?
みたいな。実際某氏に影響されてぼくもこうやって書いてるんだけどどうも続かない。もともとアタマの中の思考がなぜかである口調であるから(ほら。)、思考に口調がミスマッチとは思いつつも、である口調である、じゃなくて、である口調で書くとうまくいくのかもしれないのである。じゃなかった、かもしれないよね?これもおかしい。かもしれないと思うんだけど(逆接)。
といったように、この文体で書くと間違いなく第1文の語尾に「けど」がつく。正確には第一句読点の手前で「けど」がつく。ぼくの過去の記事を見てわかるように(この時点でもはやである調になっている(という注釈もである調になってしまう(以下無限ループ)))。これはよくない。この事実に気づいてしまったぼくはそれ以降毎日第1文にアタマを悩ませる。どうしようもなくなれば他の逆接のナンヤラを使ってほげほげごまかすこともできなくもないけど、毎日それをすると結局また悩む。みんながみんなを悩ませる(キテレツ大百科(あんまり関係ないけど、以前友達が「スイミン不足はキテレツのエンディングだ」と言って、それで2回ほどもめたが、ただしくはオープニングである(ちなみに注釈はである率が高いことで有名)))。
じゃあなんでお前はそこまでこだわるねん!いっそ自分を呪縛するその文体をやめてもたらええやんけクソボケ!という人に言い訳をするけど、口語調で冗談をいうならともかく、である調で冗談を言えばそのギャップ自身がユーモアになりかねない。冗談の質が「ゴキブリの動きぶり」レヴェルであっても、
「夏い暑のことであったが、アルミ缶の上にあるみかんをむさぼるゴキブリの動きぶりはまさしくすばらしいものであった」などと言われて平然としていられる人がこの世にいるだろうか?(否、全員だ。)ともかく、それは卑怯だといいたかったはずがなぜか言えなかったしだいでした。本当にありがとうございました。